ヘルプ

とざされた門のなか、音いろさえみえず

写真: とざされた門のなか、音いろさえみえず

写真: 鹿嶋市のマンホール 写真: 屯す糸がおりなす白は

ハッピーエンドだけを肯定するアナタが羨ましい。
ワタシの中の「葉ちゃん」は、いつも籠の中の存在で、決して感情移入するそれではないから。
ワタシは自分を正しいとは肯定しない。
『あの話は大嫌い』というアナタが正しいって、誰が証明したのかしら。保証してくれたのかしら。
もしかして、アナタは「葉ちゃん」と自分を重ねたのかしら。
『自分はこんなに不幸じゃない』って。『彼』は蔑むべき対象だって。
だとしたら、とても御目出度い行為だと思う。

ワタシは、そんな「葉ちゃん」ですら、幸せだったと思っている。
ワタシより選択肢が溢れていたから。彼には選ぶ自由があったから。

現実には、それより下があるって、どうして認められないの?
ワタシにはそれがいつも通りって、何で信じてくれないの?
アナタの価値観が絶対正しいって、ワタシが間違っているって、誰が保証してくれるの?
「先生」も、アナタは否定するでしょう?
アナタはエゴイストなのに、他のエゴイストは認めないの?

ねえ、教えて?

何でワタシが間違っているの?何でアナタが正しいの?
何でアナタは愛されたの?何でワタシは愛されなかったの?
愛されるってどういうことなの?愛されなかったワタシは穢れているの?
愛されるって正しいことなの?穢れているってどういうことなの?
正しいって、どういうことなの?

アルバム: 公開

お気に入り (8)

8人がお気に入りに入れています

コメント (13)

  • INO

    SEKAOWAの「天使と悪魔」を連想しました。

    2017年5月7日 03:43 INO (4)

  • ぼーもあ

    >INO 様
    元ネタは、数年前の私と職場の女性(人妻)との読書談義で、
    私は喜劇だろうと、悲劇だろうと、物語は檻(籠)の中、舞台上の「お話」で、
    登場人物に感情移入することは決して無く、一方、彼女の方は、
    作中の登場人物に感情移入するので、喜劇しか読みたくないというところと、
    また、少なくとも親は子に無償の愛を注ぐ(らしい)というヒトの本能から来ています。

    「葉ちゃん」と「先生」は、彼女が感情移入すると話していたので、意地悪心で、
    「じゃあ、『人間失格』なんて読んだら、太宰の信者になるだろうね」
    と告げたのもあり、「葉ちゃん」は『人間失格』、「先生」は『こころ』から、
    それぞれ登場してもらいました。
    登場人物も作者も陰鬱で、結末が悲劇的なので、共に彼女は嫌いらしいですが、
    この二作品、記憶によると、日本のベストセラーのワンツーフィニッシュだそうです。

    冒頭にヒトの本能について記載した理由は、この発言をした直後に、
    「ぼーもあさんは『AC(アダルトチルドレン)』なんじゃないです?」
    と、やり返されたためです。
    診断を受けたわけではないので、とりあえず違うということで落着しています。

    2017年5月7日 18:30 ぼーもあ (12)

  • ぼーもあ

    で、前提を記載した上で、コメントいただいた曲を聞き、歌詞を読み、
    youtubeのコメントも読んで、ドラゲナイ以外の曲も数曲聞いて、
    メインの作詞作曲者の深瀬氏のこともWikipediaレベルでは読みました。

    恐らく、彼は何かがきっかけで他者との乖離を感じていて、
    それをわかりやすく訴えようと、ポップなメロディで歌っている人と、
    そんな印象を受けました。
    ファンはそれに共感した人、フォロワーかなと。
    そういう意味では、私はキャプションを記載する上では意識しませんでしたが、
    フォロワーは太宰(特に『人間失格』)に共感する人とも同じ感じがします。
    そういう方々は、とても恵まれていると、私は思いますよ。
    表現者がいることで、「自分は底辺ではない」と信じることが出来るから。
    本当に底辺で這いつくばっている人たちは、表現や賛同すら許されないはずなので。
    選択肢があるなら、甘ったれんじゃねえよって話です。

    2017年5月7日 18:30 ぼーもあ (12)

  • INO

    丁寧な説明ありがとうございます。すべてを網羅的に表現しようとすると焦点がぼやけるので、表現する限りは対象は限定せざるを得ない。そうするとその対象にはいらない人は必ず出てくる。これは仕方ないことだと思います。だからといってその表現が否定されるってことはないと思います。いままで光の当たらなかった部分への表現者が増えてきたらちょっとずつでもその範囲に含まれる人が増えていくかも。それは虚しい努力なのでしょうか。わたしはそうではないと信じたいですね。私が言っても説得力はゼロですが。

    2017年5月14日 10:42 INO (4)

  • ぼーもあ

    >INO 様
    私も別に、表現を否定するわけでもないですし、
    光が当たることになった人々を否定するわけでもないです。
    喩えが相応しいか疑問ですが、カルトと狂信者みたいなのはゴメンなんですよ。
    彼ら(狂信者)も教祖がいて、教義を信じて救われることが出来た。
    それは、彼らにとって、きっと「正しい」ことでしょうし、指針になっており、
    内輪のコミュニティで盛り上がっているには、こちらも用はないので、
    勝手にやっていれば良いと思います。イワシの頭も信心からと言いますから。

    しかし、いちいちそれを他人に押し付けたら、それは「正しい」ものであっても、
    他者からみれば排斥されるものかもしれません。
    偶然、何か一要素が大多数にヒットすることがあっても、狂信者へのそれみたいに、
    全てがハマることは無いと思います。だからこその内輪のコミュニティですし。
    そこを勘違いして、狂信者の皆様が原理主義者よろしく、
    「これを信じないのは間違っている!」と憤るのは、筋違いだと思います。
    ええやん。選択肢をもって、良いと思ったものだけハマっていけば。

    『多様性』も、「『多様性』を認めないなんてヒドい!」というファシズムが、
    まかり通っているような気がしてなりません。
    いやいや、色々な意見・反応があることこそ、『多様性』でしょうよと。
    選択肢を奪われた不幸は、他の誰よりも知っているでしょう?って。

    2017年5月14日 13:11 ぼーもあ (12)

  • INO

    >「『多様性』を認めないなんてヒドい!」というファシズム

    面白い表現だと感じました。本筋から離れてしまって申し訳ないのですが、多様性に関して質問です。「『夫婦別姓』を認めないなんてヒドイ」という意見はどうでしょうか。やはりファシズムでしょうか。私は、夫婦別姓を採用する人が、夫婦同姓を継続する人もしくは社会に対して何がしかのダメージや不都合を起こすことはないように思うんですけど。

    2017年5月21日 13:06 INO (4)

  • ぼーもあ

    >INO 様
    考えたことが無かったので(私が独身および予定が無いため)、
    法務省のHPやらWikipediaやらを読みかじった、付け焼刃の知識で回答しますね。
    エラく長くなりましたが、ご容赦下さいまし。

    個人的には、現状維持で良いんじゃねえの、くらいに考えます。
    そもそも、夫婦同姓が謳われる理由の、家父制度とやらが出来たきっかけが、
    私は儒教的な考えに基づいていると思います。
    恐らく、夫婦同姓だからこそ、『同じ墓に入る』のような言い回しが出来たり、
    『○○家に嫁ぐ』みたいな考え方もあるんでしょう。小姑のいびりとか。
    古代から、「家族」「先祖」が尊重されている印象があります。
    西洋(キリスト教圏の国々)の場合、私が知る限り、墓は基本的に1人の印象で、
    個人への配慮・敬意は尊重されやすかった環境があった、と考えます。

    ただ、西洋でも、個人への配慮・敬意も集団の枠組みの中で成り立つでしょうし、
    日本人が「夫婦別姓であるべきだ!」と、制度だけ導入しても、
    それは個人主義ではなく利己主義に成り下がると懸念します。

    2017年5月21日 19:22 ぼーもあ (12)

  • ぼーもあ

    一応、法務省のHPのクエスチョンでは、別姓を主張する方々の意見として、
    ・代々受け継がれてきた氏を大切にしたいという感情を持つ人が増えている
    ・本人の同一性が確認できなくなり,職業生活上不利益を被る
    というのがあります。一個目とか、思いっきり儒教的で笑えますけど。
    これ、婿養子を迎えるとか、社内規定で書面・呼び方は旧姓で可にするとか、
    そういうので十分対応可能だと思います。

    上に、「思いっきり儒教的で笑える」と書きましたが、
    こういう方々は亡くなる時にどうするんでしょうね。
    墓は二つ作るんでしょうか。
    自分は先祖の墓に入るにしても、伴侶の分は放ったらかしでしょうか。
    後者の場合、儒教的な家族の形としてどうなの?結婚の意味ある?
    結局、得るのは利己的な思想だけな気がします。

    2017年5月21日 19:22 ぼーもあ (12)

  • ぼーもあ

    というわけで、社会へのダメージや不都合以前に、
    根本的な考え方が日本的じゃない、そぐわない。そう思います。
    ゆえに、私は現状維持派です。
    やるなら、思想の根本から変えた上でやるのが相応しい問題かと。
    なお、惚れた女性がいて、その人が自分の名字を維持したい人だったら、
    先方の婿に入るのは、私は長男ですが全く差し支え無いです。

    この問題で興味が湧いた点として、以下があります。
    ・日本の女性(特に20〜30代)の社会進出を望む声は、欧米と比してどうか。
     当人達はどのように考えているか。
    ・名字が変わることと社会進出出来ないこと、どうリンクするか。
     名字が変わらなければ、ステップアップ出来るのか

    外野・外圧がこれを一方的に問題視して、声高に叫んでいるなら、
    私は、やはりファシズムだと思いますよ。

    2017年5月21日 19:22 ぼーもあ (12)

  • INO

    丁寧な回答ありがとうございます。
    私自身は、少子化やライフスタイルの変化に伴って社会規範も変更していってよい、もしくは必要に応じて変更していくべきと思っていますので、夫婦別姓・同姓についてはそれに付随する責任があることの自覚をもって個人で選択してもらえればよいと考えています。ただ、「西洋でも、個人への配慮・敬意も集団の枠組みの中で成り立つでしょうし、日本人が「夫婦別姓であるべきだ!」と、制度だけ導入しても、それは個人主義ではなく利己主義に成り下がると懸念します。」とは、おっしゃる通りだと思いました。
    ファシズムについては、人によって解釈が違うので人と話すのは難しいですね。

    2017年5月24日 12:23 INO (4)

  • ぼーもあ

    >INO 様
    「少子化やライフスタイルの変化に伴って社会規範も変更していってよい、もしくは必要に応じて変更していくべき」
    長々書きましたが、伝統的な思想(私が儒教的と表現したもの)が付いてこないなら、
    多分、夫婦別姓は個人の選択でも問題無いと思います。

    2017年5月24日 23:42 ぼーもあ (12)

  • INO

    「代々受け継がれてきた氏を大切にしたいという感情」
    これは欧米でもあるようなのでそのことから考えると、儒教的なものが根幹にあるのか自分のアイデンティティとしてのものなのか、もしくは両者同根なのか、どうなんでしょうね。
    最近は姓なんていうあいまいなものではなく、DNAレベルでルーツを探るサービスなんかも人気が出てきていますね。
    なかなか興味深いテーマだと思いますので心にとめておきたいと思います。視点提供ありがとうございます。

    2017年5月30日 00:51 INO (4)

  • ぼーもあ

    >INO 様
    そこの部分は、私も書いてて極端かと思いましたが、直さないでおきました。
    触れられなければそれで良いし、触れられても、筆を生業としているわけではないですし。
    日本より、もっと儒教的な国という印象の韓国では、家ごとに家系図があるらしいので、
    そういうのも頭にあって、「儒教的な価値観」と書いたと思います。
    確かに欧米でも、伝統の○○みたいなのは、映画等で観たことがあります。

    DNAのサービスは初見でしたが、個人的にはルーツ云々より、
    体質とかがわかる(らしい)のが面白いですね。
    人気なのは、他者との違いを求める承認欲求的なものや、
    一方で共通性を求める心理が絡んでいるような気がします。
    そのうちやってみようかな。

    2017年5月31日 23:30 ぼーもあ (12)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。